「いつもきれい」を目指すことをやめた
インスタやブログ、書籍などでミニマリストの方々の暮らしを覗いてみると、まあきれいに整理整頓されているお部屋の写真がたくさん。
あんなふうにいつでも美しい状態を保ちたいがなかなかそうもいかない~って思っている人、わりと多くいるのではないでしょうか。
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できない自分を受け入れる
モノが少ないから片付けや掃除は時間がかからないけれど、疲れている時や忙しい時は失念します。
ホコリがふわふわと舞っている
郵便物が開封されないまま机の上に放置されている
読んだ本が積み重なって本棚に戻っていない
食べたお皿がそのまんま etc...
片付いた部屋の方がリラックスして過ごせるのはわかっているけれど、どうしても体が動かない。気持ちが動かない。やれない自分に「嗚呼、なんて怠惰なんだろう」と責めたりしてみて。
できない自分を責めていると、疲れた心と体に比例するように部屋もどんど散らかっていきますから、どこかのタイミングで諦めることにしたんです。
疲れているのだから仕方がない、頑張っているから疲れているのだ、掃除くらい見逃してもバチは当たらないだろう、そのうち「やろう」と動き出す日が来るのはわかっているから。
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汚れた部屋より「できない自分」に感じるストレス
できない自分を受け入れてからは、片付けや掃除が滞っていることにストレスを感じなくなりました。内省を繰り広げた結果、部屋が汚いことよりも、それを放置してしまっている自分にストレス感じているということが判明。
部屋が汚い < できない自分
基本的には真面目な性格なので。
でも、いつまでもそれを放置しない性格だということもわかっています。脳内メモリが整理整頓され、体の疲れが無くなった時、スイッチが入って生まれ変わったように動き出して片付けと掃除を展開します。
それを考えると、心と体が動かない時は充電している期間で
やらないことでバランスを取っているのだろうと自己分析。
考え方ひとつで暮らしが前向きに、軽やかになるものです。
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綺麗も汚いも暮らし
自分が住んでいるのはモデルルームではなく、自分の家。
自分の生活が反映されるわけです。ライフスタイルが変わればモノの数も変わりますし、テイストだって変化する。心と体の状況で汚れたりもするし、綺麗に整頓されたりもする。暮らしているなって思うんです。私はここで暮らしている。
「いつもきれい」を目指すのではなく、力を抜いて、自分の気持ちをストレートに暮らしに反映させたら、以前よりも暮らしが愛おしくなったように思います。
《補足》
充電期間を終えて、掃除スイッチが入った時にパパッと片付けと掃除をクリアできるという見通しを持てていることがポイントです。モノが多いとやる気は遥か彼方に逃げて行きます。モノが少ないから、放置する期間があっても大丈夫なのです。
ミニマルな暮らしはメリットがたくさん。