捨てたい中毒からの脱出
モノが減り始めると、掃除がしやすくなりました。
片付け→掃除という過程の「片付け」がなくなるから、すぐに掃除に取り掛かることが「すっきり暮らす」の最大のメリットだと思っています。
味を占めてもっともっとモノを処分したいと思い始めたわけですが、
捨てられるモノはないか!何を捨ててやろうか!といきり立って、まるで「妖怪捨てるオジサン」と化していた笑
中毒です。毎日禁断症状。
捨てたモノは今使っていないモノだったので困ることはありませんでしたが、
「快適な暮らしをするため」という目的からは離れ、捨てた時に脳が感じた快感を味わうための行動になっていたなと。
ですから、モノが減っても「豊かだな」「快適だな」と感じる場面は少なかったように思います。これでは本末転倒。
目標が「少ないモノで暮らす」であっても、目的が「捨てる」になってはいけません。
捨てるモノがない!とストレスになってしまうからです。
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「居心地悪いっすね、この部屋」のひとこと
ちょうどこの頃、仲のいい後輩が我が家に遊びに来ました。
引越しを手伝ってくれた後輩です。ごちゃごちゃした以前の家を知っている後輩なので、モノが少なくなった今の家を見て褒めてくれるだろうと期待をしていたのですが、出てきた言葉は
「居心地悪いっすね~この部屋」でした。
人それぞれ「居心地の良さ」は違うから、それはその人の個人的な感想なのだけれど、
たぶんあの時の部屋が自分のパーソナリティとマッチしていないのでは?と、後輩は感じたのかもしれません。
確かに、ただ誰かの真似をしていただけだし、自分らしさがあるかというとそれは皆無だったとように思います。
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自分にとっての快適な暮らしをもう一度イメージしてみる
自分の性格を踏まえた上で、どんな暮らしがしたいのか考えて書き出してみました。
何が好きなんだっけ?本当はあれとかこれとか置きたいんじゃないの?
そして、何が必要で、何が不要なのか書き出しました。
仕事が落ち着き始めた時期だったので、植物をじっくり育ててみたいなーとか
自分の暮らしに必要なモノはあってもいいし、無くて不便になるならそれは正解じゃないよなーと気付くのです。
【この時期に捨てて良かったモノ】
・炊飯器
・トースター(魚焼きグリルで代用)
・リビングテーブル(とりあえずモノを置いてしまうスペース)
・水切りカゴ
・コンポ(CD聴かないと気付く)
・ゲーム(利用頻度が非常に低いことに気付く)
・取扱説明書(読まない)
・カーテン(部屋の臭いの温床)
・ダイニングチェア3脚(自分用にひとつあればよい。あとは邪魔だった)
【この時期に買って良かったモノ】
・土鍋(炊飯器の手入れが面倒だったが解消)
・リネンの布(水切りカゴの汚れを処理する面倒がなくなる。スペースがうまれる)
・ロールスクリーンカーテン(カーテンの洗濯がなくなる。臭いがつかない)
・コードレス掃除機2台
(1階と2階にそれぞれ。持ち運びの面倒がなくなりすぐに掃除に取り掛かれる)
・植物たち(心の癒し)
・キャンピングチェア(来客時以外は畳んで収納できる)
・キャンピングテーブル(来客時以外は畳んで収納できる)
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「何もない部屋」がいいんじゃない。
自分がリラックスできる、ストレスなく家事ができる、来てくれた友人が快適に過ごすことができる。そんな部屋がいいんだと、気付くことができました。
内省を繰り広げて出た結論。
ガランとした空間から、ある程度のモノがある部屋に。
インスタでは「前の方が好きでした」「これってミニマリストって言うんですか?」などのコメントやメッセージをもらうこともありましたが、自分がどう感じるかが大事だし、今までの自分は「ミニマリストってこうじゃなければならない」という考えに縛られていたんだなーとも気付きました。
いわゆるガランとした部屋を否定する気は全くありません。
その空間が自分にフィットしているかが大切なのです。
ミニマルな暮らしとは?の答えってひとつじゃない。
ミニマリストの概念は多様だ。
そんなことを感じた、あの頃なのでした。