kurashiの暮らし

シンプル思考でちょうどいい暮らしを見つけよう

利き手を考慮したモノの配置を考える

あなたは右利きですか?左利きですか?私は右利きです。

家事が何だかスムーズに進まないのは、利き手を考慮した構造化が成されていないことが原因のひとつとしてあげられます。

聞き手を考慮した暮らしの動線やシステムを意識的に作っているお話を少しだけ。

 

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キッチン編

モノの精選をして使うものだけにしたとはいえ、毎日の家事の中で使用頻度が高い低いは出てきます。そこで、自身の「右利き」を考慮して、使用頻度の高いものは棚の右側へ、低いものは左側へ配置しています。

 

 

 

↓シンク上の棚。右側にはよく飲むお茶セットが。

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↓左側には来客用のグラスや湯呑みが。

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↓シンク下の棚。右側には洗剤やアルコールが。

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↓左側にはたまーに飲むお酒やお米が(お米は右側でもいいかな?)

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↓カトラリーが入っている引き出しも、ラップ類が右側にあるよりも

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↓毎日使うカトラリーが右側に配置されていた方が若干スムーズになります。

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↓コンロまわり。以前は、よく使う調味料や調理道具が左側にありました。遠くて取りにくかった。

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↓現在は右側へ。断然こっちのが取りやすい。

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洗面台編

我が家の洗面台。

 

↓ハンドソープを置く場所が左側にあるため、手を洗うときに聞き手が正中線を超えるので動作に違和感を覚えます。

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↓ハンドソープはシンクの右側に置くことにしました。ここの置いてあることに見た目としては違和感を感じますが、動作はスムーズです。

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リビング編

リモコンやティッシュは、ソファの下に収納しています(収納ケースは無印良品)。

 

ケースにはキャスターが付いているので出し入れしやすいのです。そんな工夫も、置いてある位置が右か左かによって、動作にストレスを感じてしまいます。

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私はひとり暮らしなのでこのスタイルでOKですが、ご家族がいると自分だけのことだけ考えればいい訳ではないので、また工夫が必要ですね。

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写真はないけど気になっていることが、、、

もうひとつ。トイレのペーパーホルダーですが、我が家は座って右側に設置されています。右利きだからそれが正解と思いきや、実はそれは違うのではないかと考えます。

 

トイレットペーパーは使用時に「引いて」出しますよね。右利きの人が引っ張る時に力が入るのは、利き手側の方向に引く時なのです。ですから本当は、左側にペーパーホルダーがあって、「左から右へ引く」方が使いやすいよなーと思っています。

 

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みなさんいかがでしたでしょうか。

利き手を意識した構造化の工夫で動線や動作がスムーズになったというお話しでした。

家の中のお話しをしましたが、社会全体が右利きも左利きも、目や耳が不自由な方も、障がいがあるないも、みんなが暮らしやすい社会の仕組みになっていくと、日本はもっと素敵な国になるのになーと。少数派が多数派に合わせる社会でなくなるといいなーと。

 

今回は、暮らしにまつわる構造化の話しでした。

それではまた。

自分を許す暮らしを目指す

あれこれ実践するも長続きしない暮らしを目の当たりにした時に

 

「自分はマメじゃないから」

「面倒臭がりだから」

「3日坊主だ」

 

と自分を卑下することはありません。

 

自分にフィットしていないだけ。

では自分にフィットした暮らしをどうやって見つけるのか。

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「めんどうくさい」をピックアップする

家事ってどうしても「やらなきゃいけないこと」と捉えてしまう場面が往々にしてありますよね。特に忙しい時なんかは。

 

そこで、日頃感じる「めんどうくさい」とか「不快」をピックアップしてみる。暮らしの停滞の原因は何なのかを探ってみましょう。

 

私自身のことで言えば、

 

・洗濯物を畳むのめんどうくさい

・掃除機の持ち運びがめんどうくさい

・洗濯槽の掃除がめんどうくさい

・シャツのアイロンがけがめんどうくさい

・デスクワークが捗らない

・使いたいペンがすぐに見つからない

・取扱説明書が溜まって邪魔

・賞味期限を切らしてしまう食品

・お皿の出し入れめんどうくさい

・どこに仕舞っていいかわからないモノがリビングに散乱

 

 

などなど。

これらのモヤモヤを「克服するぞ!」だと続かないかもしれないから「めんどうくさいを許しちゃう家事ってあるかな?」の視点で方法を探してみたら、案外見つかるのです。

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・洗濯物を畳むのめんどうくさい 

→ ハンガー収納にしちゃう。下着や寝巻きは畳まないでボックスにポイ。時短になった。

 

・洗濯槽の掃除がめんどうくさい

→ 柔軟剤やめる(汚れにくくなった)。マグネシウムを使ってみようか(予定)。

 

・掃除機かけるのめんどうくさいし掃除機の出し入れや持ち運びがめんどうくさい

→ 1階と2階にそれぞれコードレス式掃除機を置く。掃除したいときにすぐに手に取れるから掃除頻度がアップ。

 

 

・シャツのアイロンがけがめんどうくさい

→ 脱水を短めにしてみたらシワが付きにくくなった。ノンアイロンシャツで揃えた。

 

・デスクワークが捗らない

→ 座ってて快適な椅子に変えてみたら集中力アップ(原因は座り心地だった)。

 

・使いたいペンがすぐに見つからない

→ そもそもペンの本数が多くない?使ってるペン以外は処分。

 

・取扱説明書が溜まって邪魔

→ どうせ読まないから捨てたらすっきり。

 

・賞味期限を切らしてしまう食品

→ 買いだめしない。作り置きしない。

 

・お皿の出し入れめんどうくさい

→ 取り出しにくい位置なのかな?収納場所をオープンラックに変更したらワンアクションで取り出せる。

 

・どこに仕舞っていいかわからないモノがリビングに散乱

→ 「どこ仕舞っていいかわからないBOX」をリビングに設置してとりあえず入れちゃえ!

 

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掃除機2台は「ミニマリストなのに?」と言われることもあるのですが、各フロアに1台ずつにしたことで、掃除に取り掛かる気持ちが圧倒的に高まりました。小掃除を続けることで家の中はいつでも何となくキレイです。キレイだから、毎日快適です。快適に過ごす時間を毎日手に入れられたのだから、掃除機2台のお金なんか安いものです。モノは増えたのですが、快適さを手に入れた。必要ならそれで良しとします。ちなみにコードレス掃除機(スタンド式)は、出しっぱなしにしてすぐに手に取れるようにしたかったので、家の雰囲気に馴染むデザインを探しました。

 

緊急事態宣言により在宅勤務になりましたが、家での仕事がなかなか捗らないことを自身の怠惰だけと思わず「座り心地が悪いからじゃない?」と責任転嫁ですwww。椅子を変えてみたら、ほら快適。座っていられる時間が長くなりました(やる気はやっぱり出ないけど)。

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↑この椅子よりも

 

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↑こっちの椅子のが快適でした。

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暮らしは「過程」も大事したい

 めんどうくさいものはめんどうくさい。根性でどうにかならないよ。そもそも暮らしに根性という言葉、ちらつかせたくないな。。。

 

「きれいにする」というゴールは気持ちよくて大事だけれど、そこに至るまでの「過程」も気持ちよくありたい。

 

めんどうくさい自分を許してあげて、且つ解決する方法はある気がします。

賛否両論。でもいいのいいの。

 

快適だったら。

それで家事をこなせるのだったら。

暮らしが1ミリでも楽しくなるのだったら。

 

 

これからも快適な暮らしを続けたい。

その時々の自分に合ったスタイルにアップデートしながら。

 

 

 

 

 

「いつもきれい」を目指すことをやめた

インスタやブログ、書籍などでミニマリストの方々の暮らしを覗いてみると、まあきれいに整理整頓されているお部屋の写真がたくさん。

あんなふうにいつでも美しい状態を保ちたいがなかなかそうもいかない~って思っている人、わりと多くいるのではないでしょうか。

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できない自分を受け入れる

モノが少ないから片付けや掃除は時間がかからないけれど、疲れている時や忙しい時は失念します。

 

ホコリがふわふわと舞っている

郵便物が開封されないまま机の上に放置されている

読んだ本が積み重なって本棚に戻っていない

食べたお皿がそのまんま etc...

 

片付いた部屋の方がリラックスして過ごせるのはわかっているけれど、どうしても体が動かない。気持ちが動かない。やれない自分に「嗚呼、なんて怠惰なんだろう」と責めたりしてみて。

 

できない自分を責めていると、疲れた心と体に比例するように部屋もどんど散らかっていきますから、どこかのタイミングで諦めることにしたんです。

 

疲れているのだから仕方がない、頑張っているから疲れているのだ、掃除くらい見逃してもバチは当たらないだろう、そのうち「やろう」と動き出す日が来るのはわかっているから。

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汚れた部屋より「できない自分」に感じるストレス

できない自分を受け入れてからは、片付けや掃除が滞っていることにストレスを感じなくなりました。内省を繰り広げた結果、部屋が汚いことよりも、それを放置してしまっている自分にストレス感じているということが判明。

 

部屋が汚い < できない自分

 

基本的には真面目な性格なので。

でも、いつまでもそれを放置しない性格だということもわかっています。脳内メモリが整理整頓され、体の疲れが無くなった時、スイッチが入って生まれ変わったように動き出して片付けと掃除を展開します。

 

それを考えると、心と体が動かない時は充電している期間で

やらないことでバランスを取っているのだろうと自己分析。

 

考え方ひとつで暮らしが前向きに、軽やかになるものです。

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綺麗も汚いも暮らし

自分が住んでいるのはモデルルームではなく、自分の家。

自分の生活が反映されるわけです。ライフスタイルが変わればモノの数も変わりますし、テイストだって変化する。心と体の状況で汚れたりもするし、綺麗に整頓されたりもする。暮らしているなって思うんです。私はここで暮らしている。

 

「いつもきれい」を目指すのではなく、力を抜いて、自分の気持ちをストレートに暮らしに反映させたら、以前よりも暮らしが愛おしくなったように思います。

 

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《補足》

充電期間を終えて、掃除スイッチが入った時にパパッと片付けと掃除をクリアできるという見通しを持てていることがポイントです。モノが多いとやる気は遥か彼方に逃げて行きます。モノが少ないから、放置する期間があっても大丈夫なのです。

 

ミニマルな暮らしはメリットがたくさん。

 

 

 

 

ハードルを高く設定することをやめた

以前は、仕事で何かの業務をやり終えたあとに「もっとこうすればよかったかな」と反省ばかりが先に立つことが多かったように思います。

 

もちろん収穫も多くあるし、次に向けてはプラスにもマイナスにも目を向けて振り返りをおこなう必要はあるのですけれど、マイナス面にばかりスポットを当ててしまうから充実感が得にくいのです。

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縦軸と横軸の評価

過去の自分と比べた評価を縦軸評価

他者と比べる評価を横軸評価

とするならば圧倒的に横軸評価をすることが多かった。よくあることですよね。

 

あの人は出来たのに、自分は出来なかった。

あの人はあれを持っているのに、自分は持っていない。

 

隣の芝生は青く見えるものです。でも実際自分の芝生だって十分青くて育っています。お隣さんばかり見ないで、自分の芝生に水をあげたほうが良いのです。

 

過去の自分、昨日の自分と比べてどれだけ成長できたのか振り返ると、案外変化していることや習得できたことに気付きます。昨日よりも10分早く仕事を終えることができた、この間よりも上手に相手に伝えることができた等々、縦軸で評価をすると小さな成長や変化に気付きます。本当に小さなことですが、この積み重ねが自己肯定感の育みにつながると思いました。

 

暮らしにおいても同様で、今日は寝る前にキッチンの床を拭けたな、ササッとコンロの油汚れを掃除できたぞ、一輪の花を飾って彩を添えることができた等、いちいち「できたぞ!」と思えるだけで、生きるための「生活」から、楽しむための「暮らし」になっていきます。

 

情報が溢れる時代ですから他者の様子が簡単にインプットできます。「あの人の羨ましい暮らし」と比較しがちになりますけど、参考にするくらいにして、今日の自分の暮らしを褒めてあげたいものです。

 

 

もし横軸での評価をする場合には、他者と比べるのではなく「新しい価値観」「新しいアイデア」の発見や習得の手段としての活用であれば実りがありそうですね。そういう考え方があるのか!そんなやり方があったかなるほど!が、自身の成長につながって、歩みを止めることはなくなりそうです。

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うまくいかないのが当たり前

新しい業務を担当することになった際、「初めてのことってだいたい失敗する。軌道に乗るまで時間がかかるタイプだし、まわりの人に迷惑かけちゃうかもしれないから不安だ」と、職場の同期に気持ちを漏らしたことがあります。すると同期は

 

「うまくやろうとするからだよ。はじめから失敗するって思っていれば挫折感は軽くなる。つまずいた経験の中で、ひとつふたつの気付きがあったらラッキーって思ってればいいんじゃない?」

 

と言うのです。何というか、呆気に取られました。

私はというと「よし!絶対成功させなければ!」「変化に対応して成長をしなければ!」等と前向きすぎな決意をするわけです。すると目標やハードルも高くなりますよね。結果、超えるのが難しくて「ああ、つまずいた」「越えられなかった」「転んでしまった」と感じてしまうのです。

 

そうか、最初から「転ぶ」って思ってればいいのか。そこで気付きがあればいいのか。それこそ「縦軸」の評価です。

 

私は「他人に迷惑をかけたくない」とか「失敗した自分を見せたくない」とか、どうもまわりの目を気にしがちだったことにあらためて気付きました。それは「横軸」を気にしてのことですものね。

 

それ以降、自分を褒めてあげられる場面が増え、仕事においても前向きな振り返りがレギュラーとなりました。新しいことにチャレンジする際も「怖さ」よりも「楽しみ」と感じることが増えたように思います。

 

ハードルを高く設定しないって、ラクしようとか志が低いとかネガティブな捉えではなく、着実な成長につなげるための考え方なんだな、と思ったエピソードでした。

 

着実に、ひとつひとつ。

スモールステップで。

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ミニマリストの気分転換

インスタグラムやブログを見て「素敵な暮らしをされていますね」とメッセージやコメントをいただくことがあります。嬉しいけれど、実際は毎日バタバタと暮らしているという現実。

 

気力を失い掃除を怠ってホコリがふわふわと舞っている日もあるし、仕事のことで落ち込んだり気分が荒れる日もあります。

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時間とお金にゆとりがある時は旅行をしたり、前から欲しかったモノを思い切って買うなどして気分転換します。いわゆる「自分へのご褒美」です。ご褒美レベルとしては最上級です。お金かかりますから。

 

高い買い物じゃなくても気分転換にはなりますが、気を付けないとモノがじわじわと増えていくので「買い物での気分転換」は要注意(以前の汚部屋はこれも原因のひとつでした)。

 

ミニマルな暮らしをするようになってからは、お金をかけずに手軽に気分転換が出来る方法を自分なりに見つけて、機嫌よく過ごせる日が増えつつあるので嬉しいです。

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いつもの店でぼんやりする

日々脳をフル回転させているので、休みの日はゆっくり思考を巡らせたい。何なら、思考を巡らせたくない。

 

そんな時は、いつもの店に行って、ごはんを食べて、おいしいお茶や甘いものを食べて、本を読んだり、窓の外をぼんやり見て季節のうつろいを感じたり、うたた寝したりする。

 

オーバーヒートしていた頭と心が、じんわりと熱を冷ましてく感覚がとっても気持ち良いです。

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セリフやBGMが少ない映画の世界にお邪魔する

粛々と流れていく映画が好きで、例えばマザーウォーターとか、プールとか、めがねとか、パンとスープとネコ日和とか。よく観ます。

日常が流れていくようなストーリーなので、その街にトリップするような、物語の世界にこっそりお邪魔するような感覚を味わえます。お金をかけずに旅して気分転換です。

 

ちょうどいい声の大きさのお喋りって耳心地が良くて、気が付いたら寝ています。

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花を飾る

華やぐ、とはよく言ったもので、花を飾るだけで部屋の雰囲気がパッと明るくなります。じっと観察したり、飾る場所を変えてみたり、蕾が開いて喜んだり。

 

生花は期間が限定されますが、その儚さもまた。

その時の気分によって種類や色、形を選ぶことができるのも良いです。

 

キッチン小窓にある器には今、ラナンキュラスが生けてあります。白い器に白い花が、すっきりと気持ちいいです。

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お茶をゆっくりと味わう

櫻井焙茶研究所で飲んだお茶の味と美しい所作が衝撃で、家でお茶を入れる時にはゆっくりとお湯を注いだり、一煎目、二煎目、三煎目の味の違いを楽しむようになりました。お湯の注ぎ方ひとつで味って変わるんですね。スーパーに売っている、高値ではないお茶でも、おいしくいただくことができました。

 

忙しいと「水分補給を怠ってしまった!健康のために水分補給しないと!」という感覚でお茶を飲むことがあります。お茶の味とお茶を飲む時間を味わうと、心にゆとりが生まれるような気がします(気がしているだけでしょうが、それが大事かなって)。

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何処か遠くに出かけなくても、お金をかけなくても、暮らしの中で気分転換する方法を知っていれば、簡単に機嫌よく過ごせます。小さな幸せを折り重ねて、豊かな暮らしを送りたいものです。

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実家の荷物多い問題

自分は少ないモノですっきり暮らしているが、実家はモノが多くて減らしたいって思っているミニマリストの方って少なくないのではないかと思います。

 

現在、実家には母が独りで暮らしています。

私たち兄妹のモノ、亡き父のモノ、食器、書籍、衣類、インテリア雑貨などなど、ありとあらゆる場所にモノが溢れています。「片付けられない」母ではありません。掃除も行き渡っていますし、インテリア好きで飾り立てては喜んでいて、母なりに暮らしを楽しんでいる様子ではあります。しかし、地震などの災害発生時に怪我をしないように、モノの管理が大変で体を壊さないか等々、安全安心の観点から少しでもモノを減らしてほしいと、子としては思うわけです。

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モノへの思い入れは人それぞれ

一昨年の夏、上記の観点を伝えて母を説得。帰省した際に一緒に片付けをすることになりました。一気に全部は不可能なので、何から始めるか聞いたところ「書籍なら」と渋々快諾。書籍だけでも相当な量の本が実家にはあります。むむむ。「よし!」と決意して帰省をしました。

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食事をしながら「明日は何時からはじめよう」「どれが必要で、どれが不要なのか指示してね。書籍は重いし腰を痛めたら大変だから俺がやるから」と伝えました。しばらく黙ったあとに母がこう言うのです。

 

 

「あの棚にあるモノも、あの部屋にあるあれも、今使っていないあの食器にも思い出があってさ。いまは独りで暮らしているけれど、思い出に囲まれているから寂しさが紛れたりすることもあるんだよね~」

 

と、うっすら笑顔で、でもどこか切ない表情で、そして細々した声で言うのです。

私は何も言えず黙り込んでしまいました。

 

私がしようとしていたことは、母のためにと考えたことでしたが、それはとんでもなく間違っていたのかもしれない。私は、自分の価値観を母に押し付けていただけで、母の思いは一切考えていなかったと、深く反省したのです。

 

私からすれば不要なモノでも、母からすれば思い出の詰まった大切なモノだってある。

それを私は「捨てよう」「処分しよう」「片付けよう」とまくし立て、母の心を傷付け、母の思い出を踏みにじろうとしていたのです。

 

きっと母は「息子は私のことを考えてのこと」と気を使って断れなかったのでしょう。

 

私は「そっか。そうだよね」と言い、片付けはもう少し考えてからにしようと伝えました。「せっかく帰ってきてくれたのに、ごめんね」と謝る母に、私は涙を堪えるのに必死で何も返事をすることができませんでした。

 

 

翌日、ふと庭に立って見回してみると、昔と変わらず草花がきれいに植えられていました。草むしりもこまめにしていることがわかります。鉢植えの配置も、自分が見て気持いの良い配置、来客にも見て欲しいという思いが伝わる配置です。

 

ひとりでこの庭を手入れするのは大変でしょうが、母はこの家と、この家での思い出を、ひとりで必死に守っているのかもしれないな、と感じました。

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モノの適正量とは?

翌日、母とじっくり話しをする中で気付いたのですが、あれだけのモノに囲まれて暮らしているにも関わらず特に母は困っていないのです。困っていないのに、息子が処分しろと言うものだから、それはそれは困惑したでしょう。

 

私にとっては「こんなにモノがあったら片付けが大変だし、管理できない!」とストレスに感じてしまうから不適切な量であっても、母にとっては、思い出と共に暮らす心地よさもあって、今のモノの量が「適正」なのでしょう。

 

モノが多い少ないの感じ方はそれぞれ。

モノの捨てる残すの判断基準もそれぞれ。

 

自分の中での「すっきり暮らす」基準を、他者に押し付けていけないのだと気付いたエピソードでした。

 

このエピソード、最悪は家族関係が悪化するなんて事態も発生しかねない案件だなーと思いました。

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母のその後

母は昨年喜寿を迎えました。足腰も弱くなっており、会うたびにどこが痛いだのという話しをしています(がその割に元気です)。

 

先日、実家にあるピアノを幼稚園に寄付することになり、それに向けて部屋を片付けたとのこと。現在ピアノは使っていないので、家族写真や賞状、雑貨が飾られていました。

 

「写真はね、額から出してアルバムに入れたの。ピアノが無くなったから、額を乗せる場所がないし、新しく買うのも面倒でしょ?ピアノの部屋を片付けてみて、こりゃ大変だって思ったのよ。やっぱり少しモノを減らさないといけないのかもしれないわね」

 

と、明るい声で私に言いました。

 

「夏に帰ったら手伝うから、それまでに何を片付けるか、ゆっくり考えておいてね」

と伝えました。

 

母が望んだ時が、片付けるタイミング。

私は何も言わず、その時が来たら動こうと心に決めています。

(災害時の事故防止チェックはするつもり)

 

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ミニマリストの愛用洗剤

今日は私が愛用する洗剤をご紹介。

 

洗剤を何種類も持ちたくないのですが、それぞれの場所や汚れに適した洗剤があると掃除がスイスイと進むことがわかりました。

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ウタマロクリーナー

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愛用されている方、多いのではないでしょうか。万能でどの場所にも適していると思います。パッケージもキュート(笑)で、泡切れも良いです。我が家では床掃除や洗面台、シンク掃除に使っています。バスルームの掃除にも使っていました。汚れもよく落ちます(個人的感想)。

 

 

茂木和哉 お風呂用

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最近使い始めました。

以前は、入浴後に雑巾で水滴を拭きあげて水垢がつかないようにしていたのですが、面倒臭がり屋の自分には続かず「やってられるかよ!」と叫んでやめました。案の定バスタブには水垢や石鹸カスが残るわけです。こうなってからの掃除は時間がかかるし体力の消耗も激しい。。。

 

そこで、茂木和哉 お風呂用を購入。シュッシュと吹きかけてそれほど力を入れずにスポンジで擦ると水垢がきれいに落ちます。

 

「ああ、水垢が付き始めたな」と思いつつ面倒で見過ごしてしまうことがあっても、これさえあればすぐにきれいになるから、堂々と汚れを見過ごして掃除を後回しにしても罪悪感はありません。

 

レギュラー入りするかどうか、しばらく使って様子を見ようと思います。

 

 

SARAYAやしのみ洗剤(食器用洗剤)

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食器用洗剤もあれこれ試してみましたが、これに落ち着きました。手荒れもなく、余計な香りもありません。油汚れもよく落ちるように思います。

ボトルも透明でシンプルデザインで、どんな暮らしにも馴染むのではないでしょうか。

また、SARAYAは環境保全活動にも取り組んでいるところもエシカルサステナブル。洗剤に必要なパーム油は熱帯雨林を伐採して作られるため、環境破壊が広がってしまうとのこと。SARAYAは売上の1%を環境保全、森の再生費用に使いアブラヤシ農園の共存につなげているそうです。

 

私たちの消費行動が環境保全や農園で働く生産者を守ることにつながることが嬉しい。

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さて、今日は掃除に使う洗剤の紹介でしたが、洗濯洗剤についても現在検討をしているところです。衣類やタオルなど、直接肌に触れるモノを洗う洗剤ですので、低刺激で自然派なモノにしたいなーと考えています。

 

トライしましたら報告します。