ミニマリストの人付き合い
仕事では頭をフル回転させて人と関わりを持ちます。好きな人も苦手な人もベテランも若手も、幅広い人間関係を構築して組織運営に繋げていかなければなりません。
ですので、休日はなるべく頭を休ませたいと思っています。自分の気持ちに寄り添う時間を大事にしたいのです。ひとりで過ごす時間、最高です。頭も心も気持ちが良いです。
人と会って過ごす時間も好きです。仕事が落ち着いた2~3年前くらいから、人と会う約束を積極的にするようになりました。特に異業種の方々との会話はとても新鮮で刺激的。とても楽しいです。
しかし、帰宅すると大きくため息をつき、「疲れた~、ひとり最高~」とつぶやきながらソファーにどっかり座り込む。楽しい時間を過ごしていたはずなのに、疲れている自分がいる。むむむ。
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3つ以上のタスクを処理できない人間の脳
人間は、2つのタスクならば大丈夫だが、同時に3つのタスクに取り組むのは前頭葉機能の能力を超えると研究者は語っているそうです。2つの選択肢だと簡単に思考を切り替えて判断を下すことができるのに、3つの選択肢の間ではそれができなくなる、という。
大勢の人と話すって、まさに同時に複数のタスクを処理しているということなのではないかって、この話しを聞いて思いました。
思えば昔から、「会話をしていて心地よい」と思える人数は僕の場合「3人」でした。
この「3人」という数字は自分にとっては本当に快適な人数で、旅行に行く仲間も、じっくり語れる飲みに行く仲間も、家に呼ぶ仲間も、さまざまな場面でだいたい3人なのです。
3人での会話ってとっても楽チンで、自分がじっくり考えている時間は他の2人が話してくれているから気を使わないし、3人しかいないのでグループが分かれて違う会話になることもなく共有できる時間が長くなるように思います(4人だと2:2になったりしますよね)。
なんだか3人での集団が多いなとうっすら思っていましたが、それには理屈があったようです。
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大勢の集まりには行かない
そんなこんなで、大勢の飲み会や集まりに行くと、多すぎる情報を処理することができず思考回路が停止する僕です。よーいドン!と会が始まったその瞬間から、誰と何をどういう流れで話せばいいのかわからず、黙り込んでしまうわけです。頑張って話しをしても息切れして早々に休憩。外に行ってタバコをふかして時間を潰したり。そもそも聴覚が過敏だからザワザワした場所に長時間いることも苦痛。
「なんで参加したんだろ。はやく帰りたいなー」って思っちゃうわけです。
たくさんの友達とワイワイ過ごしている人を羨ましいな~とか楽しそうだな~とか思ったりもしますが、自分が心から楽しいと思えるかどうかが肝心で、その時間を共有する人だって多くなくてもよいわけです。そのスタイルは人と比べるものでもありませんしね。
なので、大勢の飲み会には基本的に参加しないと決めました。
大勢の集まりの中に会いたい人もいるので、その人とは後日個別で約束したりします。会いたい人とだけ会う。それだけで時間は価値のあるものになります。
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人と会う約束は頭で憶えられるだけにする
少人数で会う約束だけにしても、その予定がスケジュール帳にビッシリ詰まっていたとしたら、僕の場合それもまた「タスクの処理」が難しくなってしまうのです。
「今月はのんびりなプライベートスケジュールだな~」くらいの方が心にゆとりが生まれますし、「余白」があることで、急に何かやらなければならないことが発生してもリスケジュールする手間も省けます。
余白があることでひとつひとつの約束が輝きます。会うまでのワクワクや会った時の楽しさが倍増します。部屋の家具が余白によって輝きを放つのと同じだと思っています。
手帳に記しておかないと忘れてしまうくらいの数の約束はしないようにする。具体的には月に2回。多くて3回。これが僕の中のルールとなっています。
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その時の体調や気分によっても、他者と共有する時間が価値のあるものになるか否か分かれますし、会いたいと思う人や楽しいと思う話題も時の流れとともに変化することだってあります。
「行きたいな」と思ったら行く。
「んー、どうしようかな」と少しでも迷いがあるのなら、それはそういう気分なのだと受け止めて、行かないという選択をすることも悪くないと思います。
より快適な暮らしができるように、他者との程よい距離間や、会うペースを自分の気持ちに耳を傾けて判断していきたいものです。
心もすっきり 思考の整理整頓
「すっきり暮らす」を実践しながら自分自身と向き合うこと数年。
鬱々していた自分には戻りたくないですからね。
モノだけではなく心もすっきり暮らし続けていけるように決めたことがあります。
*人の目(他者からの評価)を気にしすぎない
*全部を完璧にやり遂げようとしない
*まずは自分を優先に考えてみる
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「人の目(他者からの評価)を気にしすぎない」
とにかく行動のねらいや目的が「評価されたい」だったなーと、振り返ればそう思います。
仕事においては
できないことを「できる」と安請け合いする。
自分の役割じゃないことをわざわざやると言ったり、時に理不尽な頼みごとを請け負ったりすることが少なくありませんでした。
実力以上の案件はできなくて当たり前だから「できない」と言った方が事故にならないし、仕事の進捗状況を鑑みて自分が担当することが不可能な場合には、その旨を伝えてお断りすることも、リスクマネジメントとして必要なことだと思います。
一方で、実力以上の案件を自身の成長のために挑戦するという選択も時に必要だと思います。その場合は、横軸の評価(他人と自身を比べる)ではなく、縦軸の評価(昨日の自分と今日の自分を比べる)をすると余計な思考を巡らさないで済みますよね。
服やインテリアも、人の目を気にしてばかりいると楽しくない。
誰のためのファッションやインテリアかって、それは自分のためだし、自分が気持ちいいか、自分が好きかどうかをいちばんに大切にしたい。
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「全部を完璧にやり遂げようとしない」
最善の結果を出したくて自分を追い込み、そしてまわりの人をも追い込んで暴走していた時代。自分にも厳しいが他人にも厳しい。他人の思いは棚上げして自分の思いを優先。なんて傲慢なのでしょう。。。
責任感 → 傲慢さ
組織のため → 自分の評価のために になっていたように思います。
上から評価される結果を出したのに周りの温度は冷え冷えだったこともあったし、達成感は多少感じても「楽しかった」感覚は皆無だった気がします。
いまは
最善を尽くしたことが、最善の結果に繋がらなくて良いと思っています。
最善は「結果」と「過程」も込みで考えなければなりません。
もし失敗しても「まいっか」と楽観的に捉え、plan → do → check → action のサイクルで次の準備をすればいいのです。
暮らしについても同様で、
常に美観を保っていたいとか、毎日のことを怠ってはいけないと思うと楽しくなくなってしまいます。それが目的になってはいけませんね。
美観を保つための暮らし ✖
楽しむ暮らし 〇
結局前者は、人の目を気にしているからそうなるのかもしれません。
自分のペースで、自分のスタイルを確立したいものです。
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まずは自分を優先に考えてみる
基本的に私はサービス精神旺盛なタイプなので、まわりの期待に応えたいと思いすぎる節があります。でも、自分はどうしたいのか、どう思っているのかを最初に考えることが大事だと気が付きました。そうしないと、自分の好きなことや今後の展望を見失ってしまうからです。
「あれ、何でこの仕事やっているんだっけ」「何のために働いているんだっけ」とある日突然、迷子になってしまうから。
そして、自分を大切にしないと、他人を大切にできないのです。
まずは自分の気持ちに耳を傾けるようにすると「本当に大事なこと」が見えてきます。
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「すっきり暮らす」の実践で、思考もすっきりしてきました。
生きていると、色んなことを抱えて、色んなことを考えます。
「色んなこと」を整理整頓しないと、本当に大事なモノが埋もれてしまうから、余計な思考は片付けて、心と頭に余白をつくりたい。
言うのは簡単ですけどね~。
きっとこれからも葛藤し続けると思います。
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クローゼットをすっきり保つためのルール
すっきり暮らしたいけど、服は好きで比較的多く所有しています。
ベーシックな、いわゆる「定番アイテム」みたいなモノはわりと長く着ますけど、時には流行を取り入れたりしますから、時が経過するにつれて
「ちょっと形が気分じゃないんだよな」と感じてしまう服も出てきます。
全部「定番」では物足りなさを感じてしまう。
流行り廃りがあっても気分があがるなら買いたい服もある。
このスタンスはこの先しばらくは変わらないような気がします。
(持っている服の色や形がすべて一緒というミニマリストの方が羨ましいし、自分を持っていらしてとても格好良いと思います。自分はできなそう。。。)
新しい服を迎え入れると、2軍落ちしちゃう服があります。新しい服を買う前から「ちょっと違う」を薄々感じていたので、想定内の2軍落ちです。
まだ着れるし、いつか着たいと思う時が来るかもしれないから、とりあえず保管しておく。でも、「いつか」は大概やってきません。
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新しい服を迎える前にすること
①ほしいアイテムの形や色を明確にする
②店やブランドを絞る
③買い物に行く日を決める
④クローゼットの扉を開けて気分じゃない服を取り出す
→数は最低2着。
⑤メルカリやリサイクルショップで手放す
⑥買い物へ行く
***クローゼットを点検して手放す服がない場合は買い物は延期です。
服は自分の暮らしを豊かにしてくれるモノですが、クローゼットがパンパンになって気分がもやもやしたり、整理整頓が大変になってしまうと豊かな暮らしとは言えませんから、所有する数を予め決めておくというルールを設定しました。
(正確には、クローゼットの余白空間を見て判断しています)
このルールを守るようにしてからは、服が溜まることもありませんし、クローゼットの中を整理整頓した時に「あ、こんなの持ってたっけ」なんてことは全くなくなりました。頭の中で管理できるだけの量を保つと、片付けも楽チンだし、思考もすっきりします。
「いくらくらいしたし、売っても大したお金にならないから」と持ち続けたりすることってありますけど、着てもらえないで眠らせておくのは服が可愛そうだし、買って楽しく着ていた時間を考えると、その値段以上の元を取っている気がします。
もう大丈夫。お役御免です。今までありがとう。って具合で割り切ることができます。
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増やさない収納のコツ
服はハンガー収納しています。ニットなどは吊り収納ケースに入れています。
床置き収納ケースは1つあり、その中には下着やハンカチが入っています。
例えば、ニットを1つ迎えたら、吊り収納の中にあるニットをどれかどかさないと入りません。入らないからとケースを増やすと、収納できるスペースが増えるから、また服が増えていきます。服をかけるハンガーも同様です。
ハンガーや収納ケースは増やさない。
これが服を一定数でキープさせるコツです。
今のキャパの中で服を管理するように心掛けています。
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クローゼットの中がもっともっとすっきりしたらいいのにな、手持ちの数を少なくしてもっと余白ができたら見ていて気持ちいいのにな、と思うこともあります。
でも、好きなモノを我慢してストレスが溜まるのは嫌です。その分、自炊して食費を節約しているし、飲み会もそんなに行かないし、ギャンブルしないし、家具家電も高いモノに興味ないし。
これだけはいいかな、と逃げ道を作って、ミニマルな生活を長く楽しく続けていけたらと思っています。
モノの住所で決まる「すっきり暮らす」
仕事で忙しい時や、疲れてどうにも動けない時ってありますよね。気持ちと比例するように、部屋が散らかっていることって往々にしてあります。
今回はそれを防ぐための話し。
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ちょっとやったらすぐに片付く構造化
散らからないためにしておくこと。
これを実践してからは頑張らなくても片付くようになりました。
もし散らかっても「よし!やるか!」という気持ちになる時は必ずきます。
その時にササっと終えることができる仕組み作りで「やる気」を持ち続けることができます。
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①モノの住所を明確に
②生活動線から逸脱しない収納場所
この2つが大切。
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①モノの住所を明確に
なんとなく置いてしまうリモコンや郵便物、本、カバン、洋服などなど。
住所が決まっていないとテーブルの上に置いてしまって何となく雑多な印象を生み出します。
細々したモノは取り出しやすいように小分けできる収納をしますけど、私の場合は「何がどこだっけ?」となるので、引き出しに名札を貼っています。
迷わず片付けられることで、出しっぱなしや後々の整理整頓、探し物がなくなりました。ご家族がいる方、特にお子さんは特に有効なのではないかと思います。視覚的支援をすることで正しい場所にモノは帰っていくと思います。
中身が見える「透明な収納ボックス」の活用もよいでしょうし、オープンラックに置く、というのも有効かもしれません。
オープンラックは「ワンアクション」でのモノの取り出しができるのもメリットです。
しかし、「モノが少ない」ことが条件です。
たくさんあるモノをオープン収納にすると視覚的にごちゃごちゃしてしまい、元の住所に戻っても「片付いていない」印象を与えてしまうので注意です。
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②生活動線から逸脱しない収納場所
大げさな話しですけど、
例えばテレビのリモコンの住所が脱衣場だったら、片付けるのが億劫で出しっぱなしにしてしますよね。
キッチンバサミの住所がリビングルームでも同様。きっと調理する場所あたりに出しっぱなしにしちゃいます。
住所が決まっているのに片付かない場合は、住所が適切でないのかも?と考えるとよいかもしれません。
たとえばエピソード カバン編
私は洋服もカバンもミニマリストとは言えない数を所有しています(好きだからしょうがない)。
以前は、カバンを2階のクローゼットに収納していたのですが、帰宅して、使ったカバンを2階に戻す前にソファに座るともう面倒くさくなって、ダイニングテーブルに出しっぱなしなんてことは日常茶飯事。
そこで、住所を1階リビングにあるクローゼットに変更。
出しっぱなしはほぼ無くなりました。
仕事用のカバンはフックにぶら下げています。
荷物の準備をして玄関に向かう動線上に住所を設定することで、床に置く、椅子に置くなどの「散らかる行動」を解消することができました。
たとえばエピソード 郵便物編
以前は郵便物をポストから取り出したら、シュークロークにあるカゴに入れていました。取ったらすぐに入れる。これは散らからないぞ!名案だ!なんて思っていましたが、郵便物をすぐに開封して処理することができない私ですので、そこに入れたらもうその先はないんです。手続きが必要な書類の期限が過ぎていたなんてことは少なくありませんでした。
「よし、溜まった郵便物を処理するか」という気持ちが芽生えても、住所が玄関だから、取りに行ってリビングに戻るって工程があるだけで、もともと苦手なカテゴリだから「やっぱいいや」と秒で心が折れるわけです(ものぐさすぎる)。
現在は、こちらもリビングのクローゼットに住所を変更。すぐに取り出せる場所にあって、週に1回チェックする日を決めています。
(それでも週に1回しかやらない)。
玄関からリビングに変わっただけで、「やるか」の芽生え頻度が増えたのです。
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エトセトラ
*時計、アクセサリー、香水
旧住所)2階のクローゼット
新住所)シュークローク
*急須と湯呑
旧住所)シンク上の吊り棚
新住所)オープンラック
*工具(ドライバーやペンチ)
旧住所)シュークローク
新住所)リビングクローゼット
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自分の特性に合った環境づくり
収納術とか暮らしの情報って溢れていますけど、
自分の特性を理解していないと快適さは手に入りません。
・カテゴリごとの書類ファイリング
・仕切りや収納ケースを使ったシンク下収納
・整った衣類の収納方法
私にはできませんでした。
できない、というか自分に合っていなかった。
面倒くさがりな自分でもストレスを感じず、無理なく続けられる構造化を今も模索しながら実践しています。
余白でモノが輝き出す
とってもお手頃価格だし、色も形もすごく気に入っています。
きっと、僕の部屋にもっとたくさんの家具や装飾のインテリアが置いてあったとしたら
照明は目に入ってこないんじゃないかなーと思います。
家に遊びに来た友達が「この照明どこの?」とよく聞いてきます。
前の家でもそれなりにデザイン性のある照明を使っていましたが、聞かれたことなんかありませんでした。
これお手頃価格ですけれど、「これどこの?」と聞かれることが多くあります。テーブルの上にある照明もニトリです。
ベッド。なんてことないマットレスベッドです。これもニトリです(笑)。
前の家でも使っていましたが、当時「これはどこのベッド?」と聞かれたことなんか1度もありませんでしたが、今は時々聞かれます。
これはリサイクルショップで購入したキャンピングチェアです。激安です。でもポツンとあると、なんだか雰囲気良くないですか?
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モノが少なくなってからというもの、数少ないインテリアを褒めてもらえるようになりました。
余白が生まれたことで、そこにあるインテリアの存在が際立つようになったのかと思います。視覚的に情報を認知しやすいですもんね。
そういえば美術館もそうですよね。
作品と作品の間には必ず「余白」があります。
あれがぎちぎちに距離が詰まっていたら、複数の情報が入ってきて世界観に入れませんし、見る気が失せると思います。あの距離感、余白は絶妙です。
私が持っている家具たちは、高値ではありません。
余白の中に存在することで輝きを放つようになりました。
部屋の雰囲気を変えたいという方。
あれやこれや飾り立てるよりも、
モノを減らしたほうがいいです。
手持ちの家具が輝き出して、
部屋の雰囲気がまるで変わりますよ。
生まれ変わります。
捨てたい中毒からの脱出
モノが減り始めると、掃除がしやすくなりました。
片付け→掃除という過程の「片付け」がなくなるから、すぐに掃除に取り掛かることが「すっきり暮らす」の最大のメリットだと思っています。
味を占めてもっともっとモノを処分したいと思い始めたわけですが、
捨てられるモノはないか!何を捨ててやろうか!といきり立って、まるで「妖怪捨てるオジサン」と化していた笑
中毒です。毎日禁断症状。
捨てたモノは今使っていないモノだったので困ることはありませんでしたが、
「快適な暮らしをするため」という目的からは離れ、捨てた時に脳が感じた快感を味わうための行動になっていたなと。
ですから、モノが減っても「豊かだな」「快適だな」と感じる場面は少なかったように思います。これでは本末転倒。
目標が「少ないモノで暮らす」であっても、目的が「捨てる」になってはいけません。
捨てるモノがない!とストレスになってしまうからです。
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「居心地悪いっすね、この部屋」のひとこと
ちょうどこの頃、仲のいい後輩が我が家に遊びに来ました。
引越しを手伝ってくれた後輩です。ごちゃごちゃした以前の家を知っている後輩なので、モノが少なくなった今の家を見て褒めてくれるだろうと期待をしていたのですが、出てきた言葉は
「居心地悪いっすね~この部屋」でした。
人それぞれ「居心地の良さ」は違うから、それはその人の個人的な感想なのだけれど、
たぶんあの時の部屋が自分のパーソナリティとマッチしていないのでは?と、後輩は感じたのかもしれません。
確かに、ただ誰かの真似をしていただけだし、自分らしさがあるかというとそれは皆無だったとように思います。
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自分にとっての快適な暮らしをもう一度イメージしてみる
自分の性格を踏まえた上で、どんな暮らしがしたいのか考えて書き出してみました。
何が好きなんだっけ?本当はあれとかこれとか置きたいんじゃないの?
そして、何が必要で、何が不要なのか書き出しました。
仕事が落ち着き始めた時期だったので、植物をじっくり育ててみたいなーとか
自分の暮らしに必要なモノはあってもいいし、無くて不便になるならそれは正解じゃないよなーと気付くのです。
【この時期に捨てて良かったモノ】
・炊飯器
・トースター(魚焼きグリルで代用)
・リビングテーブル(とりあえずモノを置いてしまうスペース)
・水切りカゴ
・コンポ(CD聴かないと気付く)
・ゲーム(利用頻度が非常に低いことに気付く)
・取扱説明書(読まない)
・カーテン(部屋の臭いの温床)
・ダイニングチェア3脚(自分用にひとつあればよい。あとは邪魔だった)
【この時期に買って良かったモノ】
・土鍋(炊飯器の手入れが面倒だったが解消)
・リネンの布(水切りカゴの汚れを処理する面倒がなくなる。スペースがうまれる)
・ロールスクリーンカーテン(カーテンの洗濯がなくなる。臭いがつかない)
・コードレス掃除機2台
(1階と2階にそれぞれ。持ち運びの面倒がなくなりすぐに掃除に取り掛かれる)
・植物たち(心の癒し)
・キャンピングチェア(来客時以外は畳んで収納できる)
・キャンピングテーブル(来客時以外は畳んで収納できる)
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「何もない部屋」がいいんじゃない。
自分がリラックスできる、ストレスなく家事ができる、来てくれた友人が快適に過ごすことができる。そんな部屋がいいんだと、気付くことができました。
内省を繰り広げて出た結論。
ガランとした空間から、ある程度のモノがある部屋に。
インスタでは「前の方が好きでした」「これってミニマリストって言うんですか?」などのコメントやメッセージをもらうこともありましたが、自分がどう感じるかが大事だし、今までの自分は「ミニマリストってこうじゃなければならない」という考えに縛られていたんだなーとも気付きました。
いわゆるガランとした部屋を否定する気は全くありません。
その空間が自分にフィットしているかが大切なのです。
ミニマルな暮らしとは?の答えってひとつじゃない。
ミニマリストの概念は多様だ。
そんなことを感じた、あの頃なのでした。
自分を見つめ直すことがミニマリストへの第一歩
当時を振り返って思う「モノが溢れてた」原因は
①「いざ」の場面が不安
②自分の「好き」を理解していない
の2つが挙げられるかな、と思っています。
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①「いざ」の場面が不安
自宅に大勢の人が遊びに来た時に困らないよう沢山のお皿やグラスを用意するとか、来客が寒がった時のためにブランケットを何枚も用意するとか、作りもしないような料理を「作れるようになったらいいかも!」と調味料や道具を用意したりとか、この洗剤で落なかった汚れをこっちの洗剤も用意しておけば何とかなるかなとか、ストックが切れて困らないように沢山買い溜めておこうとか、この先こういう分野に精通したほうがいいかもしれないから沢山の本を読まなきゃ!本が増えた時のために大きな本棚を買っておこうとか。。。。。。
何だか書き出してみたら悲しくなってきました(涙)。
あらゆる場面の「いざ」に対応するためにモノが増えていったわけです。
でも、いざって場面は訪れなかったです。
いま必要なモノだけ、使うモノだけあれば十分豊かな暮らしができますよね。
②自分の「好き」を理解していない
インテリアに興味はありました。インテリア雑誌を読んだり、インテリアショップを見るのも好き。暮らしの手帖とかオレンジページとか天然生活とか、暮らし系の本を読むのも好きでした。
白を基調としたコテージ風の家もいいな~
ビンテージみたいな雰囲気の部屋もかっこいいし~
古い団地みたなレトロなインテリアも素敵!
海外の発色がいい壁紙とかカーテンも憧れる~
など。
色んな情報を見たり聴いたりして、その瞬間の「これいいな!」で手を付ける。
あっという間に多国籍ルームになってしまうわけです。
これは洋服もそうでしたね~。
カジュアルもコンサバもモードもアウトドアも全部好きで、そういう場面が訪れた時のために色々持ってたらいいよね!ってな具合に増えていく。
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一番自分にフィットするものは何なのか
これを理解することがミニマルな暮らしの第一歩だと思います。
好きなものがあっても、それが自分にフィットするかどうかは別問題。
まずは「好き」と「フィット」を発見するために失敗を繰り返すことが自分の暮らしを確立する大事な工程かなーと思います。
いまの自分の性格や興味や仕事の事情などを踏まえて、したいこと、したくないこと、できること、できないことを明確にしていくと、ベターな暮らし方が見えてくることがあります。そうすると、必要なモノ、不要なモノもわかるのです。
闇雲に「欲しいから」買う行為は価値のない失敗になり、モノが増えていくだけ。
誰かの真似をして手に入れたモノや暮らし方も、いずれ自分を苦しめます。
ミニマルな暮らしの第一歩は「自分をみつめる」「自分を知る」ことなのかな、と思っています。